CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
CATEGORIES
RECOMMEND
ブログランキング
MOBILE
qrcode
<< 只今準備中 | main | 餡子 7か月^^ >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
ブログ再開
皆さん、お久しぶりです。こんにちはm(__)m
5ヶ月以上お休みしていたブログをやっと更新する気力が戻って来た母です。

コメント欄を読んで既にご存じの方もおいでると思いますが
母家のおじいちゃん、正確には私の父は
平成25年8月9日午後8時35分 78歳の人生にひっそりと幕を下ろしました。

昨年の10月末に車で単独事故を起こし、ろっ骨を骨折
腎臓が悪かったために痛み止めの薬を使えず
かかりつけの大学病院に相談、そのまま入院

一時はよくなり、退院して、暮れもお正月も家族で一緒に過ごしていたのですが
2月8日に加齢による そけいヘルニア(いわゆる脱腸です)になり
またしても入院、緊急手術…

その後、腎臓の悪化で尿毒症になりおしっこが出なくなり透析が必要になり
これも緊急の透析が必要になったので首の血管にカテーテルの針を刺し透析開始
ところがワーファリンと言う 血液をサラサラにする薬を飲んでいたため
カテーテルの針の間から血が漏れ皮下に血腫ができ
ワーファリンを止めたところ
3週間ほど後の4月13日に脳梗塞を起こし右半身マヒ、全失語症…
身体障害者1級の認定でした。
 
8月2日 大学病院での治療も回復の見込みもこれ以上は望めないとの判断で
当時の主治医の先生が探してくれた
自宅から1時間20分ほど離れた富山の病院へ転院
鼻からの流動食だったため他の受け入れ先が見つからなかったのです。
イロウと言って胃に穴を開け食事を流し込む・・・
そちらの方が管が詰まらず受け入れ先の窓口ももっと広がったのですが
おじいちゃんは胃の手術としていた為イロウは出来なかったのです。
イロウの方が患者の状態は重く、受け入れ先が見つからないように思われますが
流動食の方が管が細くてつまり易い為、受け入れが困難なのです。
そこに持ってきて半身麻痺,失語症,透析治療…
受け入れてもらえる病院があっただけその時の私はありがたいと思ったのかも知れません。

転院先の富山の病院で転院3日目にして肺炎を起こし
8日目の夜、流動食を嘔吐しそれが気管に流れ込み
呼吸ができなくなって死に至ってしまったようです。
看護士さんが発見した時にはすでに呼吸はしておらず
電話でも、「すでに呼吸が停止している状態です」とのことでした。

入院してから知ったのですが
転院先の富山の病院の病棟は休静期型の病棟でした。
休静期型とは治療をほとんど終え回復の見込みもあまりない患者さんが
終の棲家として診ていただく病棟のようで
転院先の病棟でも入院した時の一番最初の先生の説明で
もし、最期の時が訪れてもとりあえずは点滴はとりますが
昇圧剤や呼吸器は取り付けませんからねと説明を受けました。

父が3日目で肺炎を起こした時も
その病棟では肺炎の治療は行いません
ただ、どうしても肺炎の治療を希望するのであれば
下の階の病棟に移って治療をすることができますがどうしますか?とのお話でした。
大学病院では悪い状態ながらも安定を保ち転院もできた父が
ここはそういう病棟ですよと例え説明を受けていたとしても
たった3日目で肺炎を起こし、その治療はここでは行いません。
治療を希望しますかどうしますか?と聞かれ、
はい分かりました。
と簡単に納得など出来るはずもなく
主人と相談して下の階に移り肺炎の治療をしていただくことを希望しました。

 
でも下の階に移ったからと言って目に見えた治療があるわけでもなく…
疑問に思うことはいくつかあるけれど
大学病院からのカルテもいただいていたはずでしょうから
父が心臓が悪かったことは十分わかっていたはず
ならば、せめて心電図だけでも付けていてもらえれば
容体が急変した時にはすぐに気づいていたのではないかと思うのです
そうして父は最期の時を誰にも看取ってもらうことなく、一人で逝ってしまいました。

父が脳梗塞になった時から
きっともう自宅に帰ることは難しいのだろうなと感じていました。
ならば最期の時を家族皆で、一人でも多くの人でベッドを囲み見送ってあげたいと思っていたのに、
そんな願いも叶わず。寂しい最期にしてしまった事が悔やまれてなりません。
寂しくて寂しくて…
私の心の時計はあの日から時を刻む事を忘れてしまったようにも思います。
死に方と言うものに満足というものはきっとないと思うけど
でもね…あまりにも寂しくて…
そんな心を抱えたまま時が過ぎ去っていました。

それなのに、父の死顔は安らかで優しくて
動かなくなった体で話せなくなった心で父は何を考え思っていたのでしょうね

脳梗塞になった最初の1か月半ほどは ぼーっとしていた父でしたが
それを過ぎた頃から、私たちの言葉にもとてもよく反応してくれるようになっていて
首を横に振ることは出来なかったけれど
縦にうなずくことは出来て
私が話しかけて「うん」だとうなずいて「いいえ」だと何にも言わず。
そうして、私がたくさん話しかけてコミニュケーションをとり…
そうするうちに私が父の顔を覗き込むと
「んぱっ」と口を開けひょうきんな顔を作って見せては私を笑わせ…
自分が一番つらいはずだろうに…そんな心遣いを決して忘れる人ではなかったんですね

父への思いはきっと書き尽くせないし…言い尽くせないし…

でも、いつまでも私の心の時計を止めたままでもいけないんですよね
こんな私じゃ父が心配しちゃいますよね

コメントをいただくぴーママさんもお父様を病気で亡くされたようで
49日が終わる1週間前まで夢枕にお父様が来てくださったそうです。

でも、私の父は亡くなってから100日以上経ちますが
一度も夢に出てきてはくれません…
それはきっとこの世に未練なく母の許に行けたからなのでしょうか
不自由な体を横たえ、一番つらかったのは父だったはずですからね…
私はそんな父の気持ちを察し、今までの私らしく生きること
きっとそれが父の望みだと思うから
また頑張っていこうと思います。

4月末に生まれた赤ちゃんは父の残していってくれた命のように思います
赤ちゃんの命と父の命 新しい命と古い命は引き換えなのだな…
そうして命というものが繋がっていくのかなとつくづく考えさせられたりもしました。

そうそう…
長い間お休みしていたのに毎日ブログの訪問者が一定数あったりして
誰かは分からないけれど、きっとずっと気にかけていてくださっていてくれたんですね…
本当にありがとうございますね

皆さんの優しさに触れて感謝して
これからは少しずつご恩返しができるよう、また頑張りますね。
これからも応援よろしくお願いしますm(__)m

長い長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございましたm(__)m


みんなで作る鳥の楽園とりっち 人気ブログランキングへにほんブログ村 鳥ブログ オカメインコへにほんブログ村 鳥ブログ 大型インコへ



| いろいろ | 22:49 | comments(5) | - | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 22:49 | - | - | pookmark |
コメント
思わず涙がこぼれてしまいました。
画面が滲んでコメントできません。
まだ半分くらいしか読めてないので
またきます。
多分、また泣いてしまうかも。
| スペル | 2013/11/27 10:54 AM |
うちの母親は認知症で、介護療養型の病院に入所しています。80歳です。
パーキンソンに失語、笑顔もありません。ただ、食欲だけはあるようです。
最近、脈が不安定で、40くらいになることもあります。先日、先生とお話しする機会があり、先のことをある程度決めました。
先生が仰るには、認知症は神様からの贈り物という考え方もあるようです。ストレスも痛みも感じず、安らかに逝けるということからです。
先生とは、もしこの先、母親が口から食べなくなったらどうするか、脈が弱くなったら心臓の検査はするか…という相談がありました。
イロウは患者の体にかなりの負担があり、寿命を縮める可能性もあるということでした。
心臓の検査も他の病院へ移転するため、それが患者のストレスになる可能性、検査が長引けば今の所に戻れなくなる可能性があるということでした。
先生と相談した結果、私はイロウも検査も受けないほうを選択しました。
母親に、これ以上、苦しい思いやストレスを与えたくないからです。
80年も生き、長い間、認知症と闘ってきたのだから、あとは、安らかな気持ちであの世に旅立ってほしいと思うからです。
私は、人生は長さじゃないと思います。寿命を迎えた時に、いかに悔いなく、安らかに旅立てるかだと思います。

お父様は、きっと安らかな気持ちであの世に旅立たれ、今もあの世で笑ってらっしゃると思いますよ。
| J. | 2013/11/27 3:33 PM |
>スペル様

ここに来ると…
やっぱり人間スペル様に会えますね
父の為にありがとうございますm(__)m

本当に書き足りないことはたくさんありますが
私も一生懸命、ありのままを書いたつもりです。
ゆっくり最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

あんまり泣いたら…私までまた泣いちゃいますから^^;
もう泣いちゃだめですよw



>J.様

お母様の大切なお話をありがとうございますm(__)m
きっとね、死というものに満足なんて在り得ないと思うけど
でも、そうやって最期についての話し合いの場が持てるのは貴重なことですよね。
お母様への選択はJ.さんにとっても苦渋の決断だと思いますがどうか最期の時がゆっくりで安らかなものでありますう、心からお祈りいたします。

父が笑顔で…
本当に心からそうだったと願いたいですね。
今頃は天国で母と仲良くやっていてくれたらいいですね^^
コメント、ありがうございますねm(__)m
| 母 | 2013/11/28 8:14 AM |
こんばんわ。
とても急なことでまた、病院のことでも疑問に思われておられることもおありだと思います。
辛かったですね。。。
どの方法が、患者様ににまたおうちの方に一番良いのか?私にもまだ良く分かりません。。。緩和のNsやカウンセラーの方々なら上手くFollowして頂けたのでしょうね。
私のいた救急外来は命を助ける所です。
癌の末期の方で、本人、家族の意思により蘇生を拒否される方以外は、力の限り助けていく所です。
父は癌の末期だったので緩和病棟へ行きましたが、抗がん剤も止めて、点滴も中止になりあっと言う間になくなってしまいました。。。今の緩和の考えは変わってきているようですが。。。はっきり言って辛かったです。
話し合いをもっと持ちかければ良かったかな。と今でも後悔しております。
おじいちゃんの転院後3日で誤飲で呼吸停止が起こってしまったとの事ですが、残念ながら救急の時に老健施設や特養からの誤飲で心肺停止で来られる方はとても多かったです。
嚥下性の肺炎もすぐに起こしてしまいます。。。
助かる方は少なかったです。
お辛いですが、挿管、心臓マッサージをすることなくそのまま眠るようにお見送りされた。。
その方がおじいちゃんにとって苦しくなかったのでは。。と思います。
私も最後父の心臓を拳で叩こうかと思いましたが出来ませんでした。
うちの父も眠るようなきれいな顔でした。
12月15日は父の誕生日そして命日です。
母様のおじいちゃんも綺麗なお顔だったと。今頃は天国で皆様のことを見守って下さっていることと思います。


| ぴーママ | 2013/12/05 12:41 AM |
>ぴーママ様

医療の現場に立つ人からの立場としてのアドバイスありがとうございます。
きっと、皆さんそれぞれに役割があり思いがあり
相手の状況や気持ちを思うと自分のことはどうでもいいからと思うくらい、一生懸命になって下さってくれてるんでしょうね
だから私も大学病院にいる時は先生や看護師さんとはたくさんお話するようにしていました。
皆さん、とてもいい方ばかりでした。
脳梗塞を起こす前
巡回で看護士さんたちが部屋を訪れ、変わりないですか?
と尋ねると父はいつもピースサインと笑顔で返事を返していたらしく
父が脳梗塞になってからは看護士さんからよく、おじいちゃん、またピースサインしてよという言葉を聞かされていました。
看護士さんたちはそれくらい身近に父に接してくれているんだなと思い感謝しながら、病院に通っていました。
父が亡くなったことを電話で大学病院の病棟に伝えたら
皆さんとてもショックを受けておられ
電話した当日は皆さん落ち込んでおられたと
後日、報告に病棟を訪れた時に聞いた話です。
調度4月に脳梗塞を起こし、人事の入れ替えの時期だったので
新しく入った看護士さんもたくさんいて
おじいちゃんの脳梗塞はとても印象深いことだったみたいで
でも、それを克服して少しずつ快方に向かう様子は新人さんにとってもとても励みになっていたようです。
おじいちゃんってきっと、そんな風に病気になっても
人を元気づけられるそんな人だったのかもしれませんね
やっぱり私はそんな父をお手本にこれからも頑張っていこうと思います。
ぴーママさん、またいつでも遊びに来て下さいね^^
ぴーママさんのお父様は亡くなって何年たちますか?
また思い出話をしに来てくださいね^^
| 母 | 2013/12/06 8:23 AM |
コメントする